【学び舎】山本芳久先生
「悪魔」から見たキリスト教――C.S.ルイス『悪魔の手紙』を読む(全6回)
若松と大瀧の対話


※12分間の書き起こしです。話し言葉、表記の不統一などの不備もございますが、談話そのままの雰囲気といたしまして、お読みいただけましたら幸いです。

 

◎学び舎で取り上げていただく、山本先生の講座なんですけれども、今回は『悪魔の手紙』というタイトルなんですね。若松さんももちろんお読みになったことがありますよね。どういった本なんでしょう。

『悪魔の手紙』は、老練な悪魔、年を重ねた悪魔が、引退することになって、これから働いていこうとする若手の悪魔に、人間ってのはこういうものだよ、人間ってのはこういうふうに付き合っていくと、われわれの仕事がうまくいくよっていうのを手ほどきする、悪魔から悪魔への手紙なんです。


◎なんか面白い設定ですね。

面白いですよね。悪魔の目から見た人間っていうのは、人間から見た人間とまた違うじゃないですか。より弱点がわかるというか。より本質的なところに、言葉がおよびますよね。われわれが覆い隠したいと思ってるようなところも、悪魔にとってはよく見えるわけだから。そういう本なんです。
われわれは日ごろ、自分の中にあんまり見たくない、あるいは相手の中に見たくないと思ってるところがあるわけですけど、それがとても力を持つ、と。そういうものを覆い隠してしまうと、互いにそれがないものだと思い込む、そこに人間の弱さ、隙ができるんだっていうことを、この本は教えてくれてるんだろうと思うんです。

◎でもなんか、自分の中にあるそういうものと向き合うのは、ちょっとつらそうじゃないですか。

そこは、読んでみる前の感覚と、読んでみた後の感覚の一番の違いなんだと思うんですね。読みはじめてみると、確かにそういうことがある、でもこういう弱さだけじゃないな、人間は、ということに、気がついてくんだと思うんです。
たとえば、われわれによからぬところがある、至らないところがある。ということは仕方ないとしても、それだけに終わらない何かがあるんだっていうことに、本当は気がついているんだけど、それを確信できないわけですよね。それを確信できるようになっていく読書経験にもなると思います。
いやなものに目を背けているから、いやなものだけしか入ってこない、いやなものにわれわれが目を向ければ、そうじゃないものもちゃんと見えてくるっていう、そういうことが言えるんじゃないかなと思うんです。
現実の問題でもそうじゃないですか。現実の問題でいやなことがあって、それを直視するとそこを超える糸口みたいなものも見えてくるってことは。

◎そうですね、つい目をそらしがちというか。 ルイスって、『ナルニア国物語』のイメージが強いので、童話作家なのかなって思っていたんですが。

後世の人たちがルイスをどう記憶するのか、ときどき考えるんですけど、まずもちろん『ナルニア国物語』の作者としての一番印象が強いかなと思うんですけど、僕や山本くんにとっては、やっぱりもう希代の、時代を代表する神学者。哲学者というよりも神学者。
神とは何か、人とは何か、あるいは神と人間とはどういう関係にあるのかということを問うのが神学ということなんですけど、もう本当に優れた神学者ですね。優れた神学者だからこそ『ナルニア国物語』が書けたんですよ。
キリスト教神学をみんなに伝えたい、とくに若い人たちに。でもむずかしい言葉で語ってもわからないからと、ルイスは『ナルニア国物語』を書いたんですよ。そっちが先なんですね。それがまず一つ。
あとは、ルイスは本当に優れた文学研究者なんです。中世文学の研究者で、文学をたくさん研究して、キリスト教の信仰に関していっぱい学んで、そして自分自身も信じて、その結果が『ナルニア国物語』であり、そしてこれから皆さんに読んでいただく『悪魔の手紙』は、そのちょうどいい具合のところで書かれた作品ですね。
とっても創作的じゃないですか。だからこれは『ナルニア国物語』につながっていく、とってもいい梯子だと思うんです。だけど、この言葉そのものを裏打ちしているのは、彼の中にある神学者としての確かな経験。この両面があるので、とっても楽しんでいただけると思います。


◎その……学問的要素が強いんですか?

学問的要素がとっても強く潜んでいて、とっても平易な言葉で語られています。学問を本当にやった人は、平易な言葉で語れるじゃないですか。生半可にしかやってないと、むずかしくなっちゃうんですけど、そういうところもルイスの魅力ですよね。
本当に深いところを学んでるから、とっても平易な言葉でお話しできる。

◎山本先生ご自身もルイスがすごく好きだし、とても影響を受けているそうで、その山本先生に今回『悪魔の手紙』の講座をお持ちいただくんですけど、それについて、若松さんはどんなふうに感じられますか?

いま信頼という話をしましたけども、山本くんという人はどういう人かというと、本当に彼の言葉を信用できる、信頼して聞ける。それは彼の一番大きな魅力だと思うんです。彼はもちろん言うまでもなく、日本でいま、中世思想の第一人者になっちゃいましたね。
僕はもう25年間ぐらい友人だから、若いころの彼を知っているんですけど、本当にもう、彼は時代を引っ張る人になりました。もちろんとても敬虔なクリスチャンでもある。
あと彼は、須賀敦子さんのことをめぐって文章を書けるような、とっても優れた文学精神の読解者でもあるんですね。
ですので、ルイスを読むのに最適なだけじゃなくて、彼の語り口の中にも、詩や小説や、あるいは童話、そういうもう一つの、物語みたいなものに対するとても開かれた心があるので、皆さん、安心してお聞きいただけるんじゃないかなと思ったりもします。

◎もしかしたら、参加したその時に聞いて、すべてがすっと入ってくるわけじゃない場合も、ありますよね。取り上げてるテキストも、気軽に読むっていうよりしっかり読むっていう、ちょっとかみごたえがあるものだったりするので。 やっぱりそれは信頼があるから、ゆっくりでもいいから学んでいくっていう感じですね。

今回の『悪魔の手紙』は、ぜんぜんむずかしくないんですよ、本当に。手紙だから、書簡体だから読みやすい。ちょっと読んでみますかね、短いところ。若い悪魔に書いた手紙。

ワームウッドよ、勘違いしてはいけない。人が敵の意志を行なうことをもはや望まないのに、それでもなお実行を志して、敵の痕跡が全然見えなくなったように思える宇宙を見回し、なぜ自分は見捨てられたのかと問いつつも、しかもなお従順に従う時、その時ほどわれわれの大義が危険に瀕する時はないのだ。(『悪魔の手紙』(新教出版社)より)

一見むずかしそうですよね、でもあくまで一見、なんです。敵とは、神のことですね。人間が神の意志を行うことを欲していないにもかかわらず、なおそれを行うつもりでいるときほど、われわれが危険にさらされているということはない、いうわけです。ちょっと逆説的でしょ。
ルイスが何を言いたいかというと、「自分は神とは違う、だから神の意志なんて人間、われわれが行うことはできない」、そういうときこそ悪魔はピンチ。むしろ、「おれは神に従順だ、俺は神の言うことをそのまま自分で実現するんだ」っていうような人間は、簡単に落とせるって言ってるんですね。


◎なるほどねー! 確かにそうですね。

こういう書き方をするわけです。テキストを読めば「敵」というのが神だとすぐわかりますから。だからわれわれが、人間として至らぬところがあって、神となんか似ても似つかないものだと思ってる人間は、意外と悪魔は入りづらい。けれども、自分は純白だ、真っ白だ、自分は本当に一点の濁りもない、と思うような人間は、明日からわれわれの仲間だって。そういう話がずっと続いていくわけですね。


◎へえー、面白いですね。

面白いですよね。だからわれわれがよい人間になろうと思うとき、迷ったり苦しんだりすることはとても大事なんだと、ルイスは書いてないけれども、伝わってくるじゃないですか。そういう意味でも、文字を超えた意味がこちらに伝わってくるっていう、そういう不思議な作品でもあります。


◎なるほどね。文字を理論的に理解するということよりも、もっと、感じるっていうほうが大事ですね。

そうそう、イメージが浮かび上がってくるといいと思うし、山本くんはきっとイメージが思い浮かぶようにもお話ししてくれると思うんですけど、言葉が自分の中で一人歩きしていくというよりも、自分の人生がなにか思い返されてきて、かえって、至らないと思っていた、できないと思っていた自分というものが、もう一度受け入れられる感じがする、そういう本だと思いますよ。
「こういうところがだめなんだ」「もっともっとこうしなきゃいけないんだ」じゃなくて、私はこれ以上まともに生きることはできないと思い込んでるような人間が、かえって危ないんだっていう。
だから、自分は全然完璧で、毎週毎週教会にも行って、人に向かってよいこともしています、というような人間のところに、おまえの隙があるんだ、ってことなんですよね。それは、その人が、だんだん、だんだん、大きくなっちゃうんだと思うんですよ、自分の中で。大きくなっていった人間は、悪魔からすれば、とっても隙があるってことなんでしょうね。


◎リアルタイムのzoom講座もご参加いただきたいですし、音声講座も山本先生の講座はとても人気があるので、そちらでゆっくり聞いていただくのもよいと思いますので、ぜひ皆さんご参加ください。



●全6回まとめてお申込み
 <2,000円クーポンプレゼント>27,720円(税込)お申込み




●第1回 2022年12月1日(木)19:15〜 4,620円(税込)お申込み
 「悪魔の誘惑とはなにか」

 「序言」、第1信「真理と現実について」、第2信「見える教会と見えぬ教会」を精読します。第1信では、キリスト教が語っていることが真理であるはずがないと人間に思い込ませるための最善の方法について語られます。続く第2信では、キリスト教の「教会」そのもののうちに潜んでいる、人間をキリスト教から離れさせていく側面が語り出されていきます。



●第2回 2022年12月15日(木)19:15〜 4,620円(税込)お申込み
 「人間はどのように堕落していくのか」

 第3信から第9信までを読解します。とりわけ興味深いのは、第6信「徳の無力化のために」と第7信「悪魔は存在を知らすべきか」です。被誘惑者である人間の「悪意」は身近な人に向けさせ、「慈悲心」は遠くの知らない人に向けさせるという手法によって、人間の心を少しずつ確実に堕落させることができると悪魔は説きます。




●第3回 2023年1月5日(木)19:15〜 4,620円(税込)お申込み
 「時と永遠」

 第10信から第16信までを読解します。特に興味深いのは、第15信「時の利用法――現在に生きさせるな」です。神の世界においては、「現在」と「永遠」が重視されるのに対して、悪魔は、人間の心を不確実な「未来」に対する期待と不安に釘付けにすることによって、現在の豊かさと「永遠」から目を背けさせようとします。



●第4回 2023年1月19日(木)19:15〜 4,620円(税込)お申込み
 「人間はいかにして信仰を失うのか」

 第17信から第23信までを読解します。とりわけ興味深いのは、第21信「人間の笑うべき所有者意識」と第23信「<史的イエス>の謬説」です。第21信では、「自分の時間は自分のもの」という人間の根本的な思い込みが神や隣人から人間の心を引き離す誘惑となるということが語られます。第23信では、イエスのことを単なる普通の人間として捉えようとする近代的な発想が有する反キリスト教的な観点が明らかにされます。



●第5回 2023年2月2日(木)19:15〜 4,620円(税込)お申込み
 「<純粋なキリスト教>からの逃避」  

 第24信から第29信までを読解します。特に興味深いのは、第25信「相も変わらぬ古いものへの恐怖」です。一見古臭いキリスト教の伝統的な教え(「純粋なキリスト教」)から目をそらさせるために、「キリスト教と新心理学」「キリスト教と菜食主義」といった「キリスト教プラス・アルファ」の精神状態へと導く悪魔の策略が見事に描き出されています。



●第6回 2023年2月16日(木)19:15〜 4,620円(税込)お申込み
  「最後のヴィジョン」
 第30信と第31信(最終信)、および付論「悪魔の演説」を読み解きます。第31信「最後のヴィジョン」では、誘惑者である悪魔と被誘惑者である人間との最後の対決、そして、神との出会いが人間にとっていかに大きな喜びを与えるのかという「ヴィジョン」が語られます。「悪魔の手紙」という舞台設定を通じてはじめて浮き彫りになるキリスト教信仰の有する豊かな「ヴィジョン」を浮き彫りにしつつ、講座全体のまとめを行います。







若松英輔「読むと書く」運営事務局
E-mail :info@yomutokaku.jp
営業時間:月−金/9〜17時(祝祭日・当社規定の休日を除く)
※営業時間外に頂いたご連絡は、翌営業日以降にご対応させて頂きます。